平家物語 巻第四 「源氏揃 1」

2022-08-20 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 23 日>(大安 乙巳 四緑木星) Bernhard Bernt 第 33 週 第 26856 日

 

蔵人衛門権佐定長は、今回の安徳帝の御即位が、乱れることもなく無事執り行はれたそのめでたいご様子を鳥の子紙10枚に細々と書き記した。それを入道相国の北の方八条の二位殿(従二位平時子)のところへ持参してお見せすると、二位殿は笑みを含んでお喜びになった。この様に表向きははなやかでめでたいことがあったけれども、世間は決して静かであったわけではない。

その頃、後白河法皇の第二皇子に以仁王がゐらっしゃった(本当は第三皇子であるのだが、同母兄の守覚法親王が仏門に入られたために第二皇子と書かれてある)。御母は加賀大納言季成卿の御娘である。邸宅が三条高倉にあったことから人々はこの宮を高倉の宮とおよびした。去る永萬元年(1165年)12月16日、御年15歳で、近衛河原の大宮の御所で、人目を忍んでご元服なさった。御手跡は美しうあそばし、御才学も優れてゐらっしゃったので、位におつきになるのがふさはしいお方であったけれども、我が子を帝に立てたい故建春門院の御そねみがあって、おしこめられてお暮らしになった。花の下の春の遊びには紫毫をふるって手づからご自作の詩歌をお書きになり、月の前の秋の宴には玉笛をふいてみづから優美な音楽を奏せられた。この様にあかし暮らし給ふほどに、治承4年(1180年) には御年30歳におなりになった。

夕方散歩に出ただけて、家でのんびりと過ごした。