世界と自分

2024-02-21 (水)(令和6年甲辰)<旧暦 1 月 12 日>(赤口 乙卯 七赤金星) Hilding    第 8 週 第 27406 日

 

自分がこの世に生まれてくる前から、厳然としてこの世はあった。であるから、自分がこの世から去った後にも厳然としてこの世はあるであらう。普通はさう考へるものだ。だが一方で、本人が何かを観察するまでは何もないといふ考へ方もある。山も川も森も湖も月も星も、それがそこにあると思ふのは、君がそれを観察したからであると。これは古いギリシャの哲学者プラトンが言った「洞窟の比喩」とどこか通じるものがある気がする。今まで自分がここにあると思ってゐたものは、実は洞窟の壁に映し出された影にすぎないと。真実は僕たちが認識するものとは別なところにあると。デカルトは「我思ふゆえに我あり」と言った。この言葉は日本語にされた時に詩的にでき過ぎて、詩情に訴へるきらひがある。意味ははづれるが、この言葉になぞらへて言へば「我見るゆえに世界あり」とも言へるのではないか。「異常気象も戦争も災害もない、もっと良い社会に住みたい」と思ったら、まづ自分自身を変へないといけない。流れ去る時の流れのその刹那は、常にもとへは戻れない新たな世界への分岐点であると思ふ。どんな世界を選ぶかは自分が決めることだ。

気温は5℃に上がって、雪は随分解けた。