小乗社会

2023-08-03 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 6 月 17 日>(仏滅 癸巳 七赤金星) Tage    第 31 週 第 27204 日

 

仏教には大乗仏教小乗仏教といふふたつの流れがある。このうち日本に伝来したのは大乗仏教であると習った。小乗仏教では、小さな乗り物に乗ることのできたお坊さんたちだけが救はれる。すると普通の暮らしをする大勢の一般の人たちには救済の機会がない。でもそれはお釈迦さまの教へに反する。といふわけで、誰でも救はれる大きな乗り物の大乗仏教が生まれたのかなと思ふ。大乗仏教の本質は、「一切衆生悉有仏性」といふ言葉にあると僕は思ってゐる。つまり、どんな人にもお釈迦様になれる性質 ー仏性ー があるといふ考へである。どんなに変な奴だと思っても、その人の根っこには仏性があるんだと思へば、幾らかの尊敬の気持ちも湧くのではないだらうか。小乗仏教のお坊さんは言ふかもしれない。「私どもは、それはもう大変な難行苦行の末にここまできたのですよ。私どもに救済の特典があってあなたたちにはないと言はれても、それは私の知ったことではありませんね。」この考へ方はなんと現代の日本の社会を代弁するものかなと思ふ。必ずしも仏門に入るわけではないにせよ、一部のエリートたちの考へと瓜二つの発想であると思ふ。つまり日本には大乗仏教が伝来したにも関はらず、現代社会は小乗社会であるのだ。ここで「世の中とはそんなものさ」と思ったら思考停止に陥ってしまふ。この世の中を少しでも良くしたいと思ったら、どんな人にも仏性があるんだと思ふことから始めないといけないのではないか。生首をノコギリで切り取った人とか、電車の中で火をつけた人とか、新聞には色々と出てくるけれども、そんな人たちにも必ず仏性があることを真剣に思ってみることが大事だと思ふ。

今日は雨。投函したい郵便があって、雨のやむのを待てば集配時間が来てしまふ。それで傘をさしてスーパーへ行ったがびしょ濡れになった。