あゝ、日本海

2023-06-04 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 4 月 16 日>(先勝 癸巳 六白金星)満月 Solbritt Solveig  第 22 週 第 27144 日

 

福井市の足羽山に登ると、継体天皇銅像がある。歴代の天皇の中で銅像として祀られる例は少ないと思ふが、それだけ、古代の伝説を継承してゐるのかなと思ふ。この継体天皇は西の方を向いて立ってをられる。その眼差しの先には、坂井平野が広がり、九頭竜川がゆったりとカーブを描く。そのさらに先には日本海があるはずである。ふるさとに帰ると、この日本海の恵みといふものを思ふ。幼少の頃、太平洋側では潮の満ち干が大きいが、日本海側では小さいと習った。なぜさうなるのか考へたこともなかったが、裏日本と呼ばれてなんとなく劣等感を感じたし、こちらでは体験できない潮干狩りといふものに憧れたものだった。表日本と裏日本の干満差の謎は、以前、蒲生俊敬著「日本海」といふ本を読んだ時氷解したのだが、同時にこの時、日本海の恵みについて教へられた。対馬暖流のおかげで、暖かい海面から水が蒸発し、本土に冬の降雪をもたらして、それが日本の豊かな水資源となってゐる話とか、表面海水が深海にまでダイナミックに沈み込むことで深層水にも酸素が多く含まれる話などである。これはウクライナの南に面した黒海などとは全然様子が違って、日本海はすぐれて生命の海であり、恵みの海であるといふ風に書いてあった様に記憶する。なんといふ素晴らしい恵みの中で僕たちは育ったことだらう。その様な日本海に劣等感を感じる理由は何もないと今は思ふ。またこの恵みがどうぞいつまでも続いて欲しいとも思ふ。

散歩で見かけた田植えの後の水田