平家物語 巻第四 「還御 1」

2022-08-05 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 8 日>(友引 庚寅 一白水星)上弦 Ulrik Alrik 第 31 週 第 26847 日

 

治承4年(1180年)3月26日、高倉上皇厳島へご参着になった。清盛の最愛の内侍の宿所にご滞在なさった。中二日ご逗留されて、その間に経文を書写して神前に供へ、ご読経なさった。また舞楽も行はれた。これらの主要な行事を執行担当した僧は三井寺の公顯僧正とのことである(この僧の名前は、後白河法皇が当初三井寺で灌頂をお受けになる予定であった時に出てきた)。高座にのぼり、鐘うちならし、仏に向かって表白された言葉に曰く、「九重の都を出でて、八重の潮路を分きもって参らせ給ふ御志のかたじけなさ」と高らかに申されると、君も臣も感涙にむせばれるのであった。厳島の本社である大宮、客人の宮はもちろんのこと、社々所々へみな御幸になった。大宮より5町ばかり(600mほどか?)、山をまはって、瀧の宮にお入りになった。ここで公顯僧正は一首の歌を詠んで拝殿の柱に書きつけられた。

 雲井より 落ち来る瀧の 白糸に

 ちぎりを結ぶ ことぞうれしき

神主佐伯の景弘は加階されて従上の五位、国司菅原在經も加階されて従下の四品、院の殿上が許された。厳島別当(長官)である座主尊永は法印の位につかれた。神慮も動き、太政入道の心にも働きかけるものがあったのではないだらうか。

今日は雨。夕方の止み間に散歩に出たが、すぐに降って来て大粒の雨に。散歩を中断して家に戻った。