安倍氏国葬に賛否両論

2022-07-19 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 21 日>(友引 癸酉 九紫火星) Sara 第 29 週 第 26830 日

 

政府は、参議院選挙遊説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の国葬をこの秋に行ふ予定であると説明してゐる。これに対して、反対や懸念の声も聞かれるといふ。もっともな話だ。そもそも人を弔ふのは個々人の極めて内面的な行為であって、国家的なセレモニーとして行ふことではないと思ふ。僕は安倍元首相を尊敬しないのではない。といふか、「戦後レジーム」からの脱却といふ課題に関しては僕は全く反対意見なのであるが、それを横に置いて、全体として見た場合、安倍元首相は政権の座に座っても、私利私慾や権力欲から距離を置いたところは立派だと思ふ。比較が極端かもしれないが、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平主席と比べてみたら良い。ご本人は多分、自分には大きな権力はないと自制してをられたのではないかと思はれるフシがある。ところが、周囲の人間たちは、さうは見なくて、ご本人が思はれてゐるよりもはるかに巨大な権力を想定して、お神輿を担ぐように振る舞ったやうに思はれてならない。「森友問題」とか「桜を見る会」とかいくつかの不祥事があって、首相の責任はもちろん問はれる訳であるけれども、周囲の側近たちが寄ってたかって権力に便乗しようといふ気持ちをもっと抑へてゐたなら、それらの事件はもう少し違った形に展開したかもしれない。その様な取り巻きが、今回また死せる首相を担ぎ出して、国葬を計画するといふことが、僕には何とも鬱陶しい。

近くの小学校の校庭は大きな石につながってその先は森である。