宣旨・令旨・院宣

2022-09-26 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 9 月 1 日>(先負 壬午 三碧木星新月 Enar Einar 第 39 週 第 26893 日

 

平家物語・巻第四の「信連」は昨日のブログで読み終へたが、「宣旨とはなんぞ」といふ言葉があった。本当の宣旨とは天皇が出されるものだと思ふのだが、清盛の命令であるのに、検非違使庁はそれを「宣旨」と呼んだ。そこに平氏の思ひ上がり、もしくは強い平氏への忖度があるのではないかと思ふ。一方で、高倉の宮の平氏追討の命令は「令旨」と呼ばれた。天皇ご自身ではなく、皇太子や親王の命令で出されたものが「令旨」であるとモノの本にあった。また、後白河院の場合の様に、法皇もしくは上皇が何か命令をお出しになる場合には「院宣」と呼ばれた。明治時代から太平洋戦争までの間には、「勅令」といふ言葉もあった。帝国議会の協賛を経ずに、天皇の大権によって直接に発せられる命令をいふと、新潮国語辞典にあった。これも軍部の一部の人が、自分の意見であるのに、あたかも天皇の御意志であるかの様に言ひふらすことが起こるのではないか。日本といふ国では昔から、お上の命令に弱かったことがわかる。明日は安倍元首相の「国葬」が行はれる日だが、多くの反対者がデモをする中で行はれる国葬の形は美しいとは言へない。「美しい日本の醜い国葬」になってしまはないかと恐れる。安倍氏を尊敬する人でも、国葬には反対だといふ場合もありうるのではないかと思ふ。僕も国葬にどちらかといへば反対であるが、それは、国葬の様な行事を認めることで、知らず知らずのうちに、上から出された願望的な命令に人々は皆従ふべきだといふ空気が社会にみなぎり始めるのではないかと恐れるからである。国民の性格にその様な下地があることは平家物語の時代から変はってない様にも思ふ。

今日は低気圧。時々雨が降った。秋雨といふのかな。