平家物語 巻第四 「厳島御幸 2」

2022-07-20 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 22 日>(先負 甲戌 八白土星)下弦 Margareta Greta 第 29 週 第 26831 日

 

皇室に代々伝はってゐるさまざまの御物は、それぞれの役人が受け取って、新帝の皇居である五條内裏に移された。五條内裏とは大納言邦綱の邸で、一時仮に設けられた皇居である(今で言へば京都市下京区五条南東洞院西のあたりになるらしい)。

また20歳で上皇になられた高倉天皇は閑院殿にお遷りになった。閑院殿は3年前の安元の大火で焼け、古くは藤原冬嗣の屋敷であったところである(今で言へば二条南、西洞院の西らしい。高倉天皇から後深草天皇までの里内裏であった)。その閑院殿では火の影はかすかで、時を知らせる役人の声もなく、瀧口で役人たちが出勤報告のために名前を唱へるようなこともなくて、古くから仕へてゐた人たちは心細くなって、めでたいお祝ひの中であるにも関はらず涙を流し、心を痛めた。左大臣である藤原宗経が陣の座に出て、ご譲位のことを発表した。それを聞いて、心ある人々は涙を流し、袖をうるほした。自分から天子の位を皇太子に譲って差し上げ、上皇の御所で静かに暮らさうとお思ひになった先々の上皇たちでさへも、あはれは多かったことであらうに、今回のご譲位は清盛の意向で無理矢理に強いられたものである。そのあはれさは申すもなかなか愚かなことであった。

平家物語では安徳帝への譲位に際して、三種の神器をはじめとする御物の移管の様子がやや丁寧に述べられてゐる。この先、これらの御物のたどるべき命運を予見させる様な伏線になってゐるのかもしれない)

イギリス、フランスなど、ヨーロッパは暑いとニュースでやってゐたが、スウェーデンの暑さはまだそんなでもない。