日常の中の孤独

2022-04-10 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 10 日>(赤口 癸巳 九紫火星) Ingvar Ingvor 第 14 週 第 26730 日

 

自分の性格が嫌だなと思ふことがある。もう随分な老人になってまでそんなことを思ふのも無益なのだが、ボーッとした時にそんなことを思ってしまふ。一言で言へば閉じこもってしまふのだ。閉じこもれば、善悪を自分の判断だけで決めてしまふ。自分の生き方も独善的になりやすい。生き方が民主主義的でなくなる。狭量の人となり、自分を利することばかり考へて他を利するといふことを思はない。するとそこでまた螺旋を描くように自己嫌悪に陥る。定年退職してからは家に居るので人と交はることが少なくなった。コロナパンデミックでさらにその傾向が進んだかもしれない。人の性格は生まれつきといふ部分もあるが、主として周囲との関係の中で形成されるものだと思ふ。それで周囲との関係がなくなると精神が不安定になろうとする。これは僕ひとりに限ったことではなくて、日本の社会全体にそんな人が増えてゐるような気がする。人里離れてひっそりと生きるのは良ささうにみえて、現実の生身の人間にとっては必ずしも良い生き方とは言へないかもしれない。西行は「寂しさにたへたる人のまたもあれな庵並べむ冬の山里」と詠んだ。修行の身にも社会性は要るのかなと思ふ。

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夕方になって晴れた