2021-12-03 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 29 日 友引 乙酉 三碧木星) Lydia 第 48 週 第 26602 日
ここに1メートルの紐があったとして、それを4千万本つなぐと、地球を1周する。もともと1メートルの長さを決めるのに、そのように決めたからだ。いまはもっと進んだ決め方がなされてゐるが、出発点で地球の大きさを基準にした点は興味深い。1秒といふ長さも元は地球の自転周期から決められた。時間と空間の尺度が、宇宙の片隅にある地球といふ星のサイズと動きから決められてゐる。背の高い人も低い人もあるが、人は大体身長1メートルから2メートル程度の大きさである。長さには宇宙サイズから原子核サイズまである。仏教には三千世界といふ言葉があるが、大きい方に向かってはそのように説明されてもミクロの世界に向けての言葉は無いような気がする。1メートルといふ長さは無限に広がる数直線の一区分に過ぎないが、僕らの住む世界が、このオーダーのサイズで決まることに、不思議な感じを持つことがある。どんなに微細な世界を覗こうとしても、あるところより小さな世界は目で見ることはできない。目で見て確認できないからと言って、そんな世界が無いとは言へない。空想の世界で、ある原子の原子核を思ひ描くと、原子の種類によって大きな原子核も小さな原子核もあることに改めて驚く。原子核の中の陽子同士はとてつもない電気力で反発するのだが、それにも勝る強い力が働いて安定してゐる。そして原子核の周囲は広大な真空になってゐる。まるで僕らが地球にゐて宇宙空間の広がりを感じるようなものだと思ふ。そのように思ふと、小さいものを軽んじてはいけないといふ気になる。似たような構造がフラクタルのように幾重にも繰り返されるからだ。宇宙に向かって空間は無限に広がってゐるように、微細な世界に向かっても無限の奥行きがあるのではないか。それともこれ以上は進めない行き止まりがあるのかしら。この目で見て確かめることのできない世界だ。僕らの住む世界が1メートルといふオーダーの世界であることに改めて不思議を感じる。