平家物語「大塔建立 1」

2021-10-26 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 9 月 21 日> (大安 丁未 五黄土星) Amanda Rasmus 第 43 週 第 26554 日

 

御修法(みしほ)と言って、その昔には、正月八日から七日間、宮中の真言院で仏事が行はれた。真言僧が金剛界胎蔵界を隔年に修したのである。結願(その法会の末日)に勤賞(けんじょう)と言って、功を賞し、官などが授けられたり、役目を仰せつかったりすることがあった。仁和寺の御室は東寺を修理しなさいといふことになった。東寺は京都市南区九条にあり、教王護国寺ともいふ、真言宗総本山である。今は世界遺産にもなってゐる。また、後七日の御修法には、大元の法、灌頂興行をしなさいとの仰せが出た。大元の法とは大元帥の法で、大元帥明王を本尊とする修法である。また、灌頂とは水を頭頂に灌ぐことで密教最大の儀式とされてゐる。御弟子の覚成僧都は法院に推挙された。覚快法親王は位階として二品とされ、牛車の宣旨を受けられた。僧位として最高の位は法院といひ、それにつぐ位は法眼といふが、法眼圓良は、仁和寺御室の支持もあって、法印の位を担はされた。この他にも色々と勤賞があったが、細かいところまで数へ上げると、枚挙にいとまがないといふことである。月日が経って、中宮六波羅より内裏にお移りになった。娘が天皇のお后となったので、清盛の夫婦は「ああ、何としても皇子ご誕生あってほしいものだなあ。さうすれば、位について私たちは、外祖父、外祖母と仰がれることにもなるだろう」と願はれた。この願ひを、我が崇め奉る安芸の厳島に申し上げようとして、月詣を始めて祈ったところ、中宮はすぐにご懐妊されて、希望通りに皇子であられたのはめでたいことであった。

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昨日は散歩にも行かなかったが、今日は行けた。ありがたい。