平家物語「赦文 2」

2021-08-17 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 10 日> (仏滅 丁酉 三碧木星) Verner Valter 第 33 週 第 26484 日

 

その頃、平清盛の娘である建礼門院がご病気になられた。その時はまだそのお名前ではなく、高倉天皇中宮であられた。身分の高い人々も一般の人々も皆、中宮のご病気を案じた。諸寺では読経が行はれ、諸社では神祇官から幣帛を奉るお使ひがたてられた。医師はあらゆる薬方を用い、陰陽師は方術の限りを尽くし、僧侶もまたあらゆる大法秘法を修せられた。けれども、ご病気は普通のものではなく、どうやらご懐妊なさったのだといふことがわかった。高倉天皇は今年十八、中宮は廿二になられる。けれどもこれまでは皇子も姫宮もおできにならなかった。もし皇子であったらどんなにおめでたいことだろうと言って、平家の人々はまるでもう皇子がお生まれになったかのようにいさみ喜びあった。他家の人々も「平氏の繁栄のタイミングの良いこと、皇子のご誕生は疑ひなし」と言ひあった。ご懐妊であることがハッキリすると、祈祷の効験をもつ偉いお坊さんたちに、皇子ご誕生でありますようにと祈らせた。6月1日に中宮は腹帯をおしめになった。仁和寺の御室守覚法親王が参内されて孔雀経によって中宮の無事を祈られた。また、天台座主の覚快法親王も参内されて、胎内の嬰児がもし女子であっても男子にするような祈りを祈られた。

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秋の夕暮れ