平家物語「教訓状 3」

2021-02-01 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 12 月 20 日> (先勝 庚辰 八白土星) Max Maximilian  第 5 週 第 26288 日

 

長男である平重盛実弟の宗盛卿のかみ座についた。清盛と重盛の親子は向かい合ふ形になったが、清盛は何もしゃべらない。重盛の方も何も話さない。ややあって話を始めたのは清盛の方であった。「成親卿の謀反は大きなことではない。無視できないのはこの謀反が法皇のご計画であることだ。私がしばらく世を静かにする間、法皇を鳥羽の北殿へお移し申し上げるか、さうでなければこの西八条の館に御幸していただいてはどうかと考へてゐる。」この言葉が終はらないうちに重盛ははらはらと涙を流し始めた。清盛は「一体どうしたのだ」と途方にくれた。重盛は涙を抑へながら言った。「そのお言葉をお聞きしますに、父上のご運ももはやこれまでと思はれます。人の運命の傾く時は必ず悪事を思ひ立つものです。父上の御有様は正気の沙汰とも思はれません。いくら我が国が辺鄙なところにある小さな国であると言っても、主君は天照大神のご子孫であり、天児屋根命の御末であります。大和朝廷で政治を始められてからこれまでの間、太政大臣の位にある人が甲冑を身につけることなど礼儀をわきまえぬのではありませんか。しかも父上は御出家なさってゐるのです。過去、現在、未来の三世の仏たちが出離解脱のしるしとして着る法衣(袈裟)を脱ぎ捨てて甲冑をよろひ、弓箭を帯することは、もうそれだけで仏戒を破って恥を知らない罪を招きます。儒教の方から言へば仁義礼智信の法に背くことになります。どっちの面から考へましても、子としては恐れ多い申し分ですけれども、心中に思ふことを言ひ残すべきではないと考へます。世の中には四恩があります。天地の恩、國王の恩、父母の恩、衆生の恩です。このうちもっとも重いのは朝恩です。広大な天の下はすべて天子の領土です。さうであればこそ、許由は堯から天下を譲ろうと言はれた時に、汚れたことを聞いてしまったと言って潁川の水で耳を洗ったと言ひます。また、伯夷・叔斉は、臣下が主君を討つべきではないと言って武王を諌めたのに、容れられなかったので、首陽山に隠れて蕨を採って食べたと言ひます。どちらも勅命に背いてはいけないといふ礼儀を知ってこそのことです。なんぞ況や父上は先祖代々に聞いたこともない太政大臣の位にまで上りつめられたのです。周知の様に重盛は無才愚闇の身でありますが、大臣までも努めさせていただいてます。そればかりではありません。諸国の半分以上は今では平家一門の所領となり、荘園は全て平氏によってその進退許否を思ふままにできるのです。これは世にも稀な朝恩ではありませんか。今これらの莫大な朝恩を忘れて、乱雑に法皇を傾けてしまはうとなさるのは、天照大神、正八幡宮の神慮にも背いてしまふことになるでせう。日本は神国です。神は非礼をお受けになりません。さうであれば後白河法皇の思ひ立たれたことに全く道理が無いとは言へません。確かにこの一門は朝敵を平らげて四海の逆浪を鎮めました。そのことは並ぶもののない忠に違ひありません。けれども、だからと言ってその手柄を誇ることは傍若無人ともいふべきものです。聖徳太子十七ヶ条の御憲法に「人は誰にも皆心があります。おのおのの心には固執するところがあります。彼を是し我を非し、我を是し彼を非す、一体誰がその是非を決めるといふのでせう。どちらも賢でありどちらも愚なのです。その是非の議論を始めれば、環に端が無いようにぐるぐると回るだけです。腹立たしいことがあってもそれを表に出して怒ってしまへば結局自分の所に咎となって戻って来るのです。そのことを恐れなければなりません」とあります。けれども父上のご運は尽きないと見えて、謀反はすでに明るみに出ました。法皇がご相談になった相手の成親卿も捕らえられました。ここまで来たのなら、この先法皇がどんな思ひがけないことを言ひだされたとしても何の恐れがあるでせうか。関係した各人に相応の処分を行はれた上で、その結果をご報告申し上げ、法皇さまのためにますます奉公の忠勤をつくし、民のためにますます情けをかけて良い政治をすれば、神仏のご加護を受け、目には見えない思し召しもあることでせう。そのように神明仏陀の感応があるなら、法皇さまもきっとお考へをお改めになることでせう。君である法皇と臣下である父上とのどちらに從ふべきかといへば、肉親であるかどうかの区別によらずに、当然法皇に從ふべきであります。道理と間違ったことを並べてどちらかにつかねばならないなら、道理につくしかありません。」

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