平家物語「教訓状 2」

2021-01-22 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 12 月 10 日> (先負 庚午 七赤金星) Vincent Viktor   第 3 週 第 26278 日

 

平家追討を企てられた後白河法皇を、父の清盛は鳥羽殿へ押し込めまいらさうとしてゐるとの知らせを受けて、平重盛は急いで西八条の清盛の館に行った。門前で車を降りて門の内へ入ってみると、清盛が率先して腹巻(鎧のこと)を着けてゐるものだから、一門の卿相雲客数十人は、色々の直垂に思ひ思ひの鎧を着て、中門の廊に二行に並んで座ってゐた。そのほか、諸国の受領、衛府、諸司などは縁からはみ出るほどで、庭にもたくさんのものがひしめきあってゐた。旗ざほを手許に引き寄せ引き寄せ、馬の腹帯をかため、兜の緒を締めて、まさにいざ出陣の用意が整った雰囲気であった。そこへ重盛は烏帽子直衣の貴族のいでたちで、大きな模様のついた指貫袴のはしをとって、さらさらと衣摺れの音をさせながら入って来たものだから、雰囲気が全く違ふ様に感じられた。清盛は伏目になって「あいつめ、世間をバカにした様なふりをしよって。ここはひとつしっかりと諌めてやらねばなるまい」と思ったのだが、相手がいくら我が子であるからと言って、仏教については、不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不酤酒戒の五戒を保って慈悲を先とし、また、儒教については、仁義礼智信五常を乱さず、礼儀を正しくする人であったので、引け目を感じたのでもあろう、あちらがあの姿であるのに、こちらが鎧を着けて対座するのは何とも恥づかしいことであると思ったに違ひない。障子を少し引き立てて、法衣である素絹の衣を鎧の上から慌てて着たのであるが、胸板の金物が少し出てしまふのを隠さうと、衣の胸をしきりに引っ張るのであった。

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気温3℃、やや風あって雲の動きが速かった。