親子の縁

2021-01-09 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 11 月 26 日> (赤口 丁巳 七赤金星) Gunnar Gunder   第 1 週 第 26265 日

 

昨日のブログを書いてゐて、もしも自分が成經であったなら、あんな風に、父親と一緒に私も打たれたいと申し出ることができたかなと思った。父がこの世を去ってからまもなく35年になる。父はその年末に急な異常をきたして病院へ運ばれて、ほぼひと月後に亡くなった。当時は僕は日本の会社に勤めてゐて、東京で働いてゐたから、なかなか郷里の家に帰ることができなかった。帰ったとしても、もし病状がもつようなら、長期になればいつまでも会社を休むことができなかったし、東京へ戻ってしまへば母が心細くなるので、滞在期間の判断が難しかった。結局、父が旅立った時は母がひとりで遺体を家に迎へることになった。あの時のことを思ふと今でも父にも母にも申し訳ないと思ふ。しかもその一年半後には、僕は会社を辞めてスウェーデンにわたることになったので、母の悲しみを一層深めてしまった。菩提寺で夜伽の間に、スペースシャトル・チャレンジャーが爆発事故を起こしたニュースが流れたのを覚えてゐる。あの時、自分は何を考へてゐただろう。人の死を唯物論で考へてしまふ部分が僕の心の中にはある。現代に生きる僕は、成經に比べれば随分と薄情な子になってしまったが、昨日のブログを書いてゐて、僕はふとあの日のことを思ひ出してしまった。世の中は変はっても親子の縁には昔も今もない筈である。あの日は僕にとっては忘れてはいけない日であると改めて思った。

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今日も散歩にだけは出ることができた