平家物語「小教訓1」

2020-11-23 (月)(令和2年庚子)<旧暦 10 月 9 日> (赤口 庚午 九紫火星)勤労感謝の日 Klemens   第 48 週 第 26218 日

 

新大納言成親卿はひとまの部屋に押し込められてゐたが、汗水を流しながら「ああ、これはふだんの計画が漏れてしまったのだな。一体誰が漏らしたのかしら。おそらく北面の者共の中の誰かではあるまいか」など、自分たちの陰謀が発覚した理由をあれこれと考へてゐらっしゃったのだが、後ろの方から高い足音が聞こえてきた。大納言は、すは、我が命ももはやこれまでかと覚悟して、武士どもが来るのをお待ちになったのだが、板敷を高らかに踏みならして近づき、うしろの障子をサッと開けて現れたのは入道清盛その人であった。素絹の衣を短く着、白い大口袴の裾を内側に丸めこみ、ひじりづかの刀が今にも抜け出しさうなままで、満面に怒りをたたへて大納言をしばし睨みつけた。「そもそも御辺は平治の乱でも信頼の側について敗れたのです。本来ならそこで殺されるところでした。それを我が長男の重盛が体を張って命乞ひをしたからこそ、助かったのではありませんか。何の遺恨があって平家一門を滅ぼそうとご計画をなさったのですか。恩をしるを人とはいふのです。恩をしらぬは畜生です。当家の運命がつきずにあるからこそ、かうして御辺をお迎へできたのではありませんか。御辺がどの様に計画をなさったか、とくと私が直接聞きませう」すると大納言は「全くその様なことはございません。誰かが讒言したのでせう。よくよくお調べください。」としらを切った。その言葉が言ひ止まないうちから、入道清盛は「人やある、人やある」と叫んだ。すぐに貞能が来た。「西光が白状した紙を持って参れ」と命じた。貞能はすぐに持って来た。これを手にとって二、三返繰り返して読み聞かせ、「ああ、憎いやつだ。この上何を申し開きしようといふのか」と言って、大納言の顔にサッと投げかけて、障子をピシャリと閉めて出て行かれた。入道清盛はなおも腹に据えかねて「經遠、兼康」と呼ばれた。すぐに瀬尾太郎、難波次郎が来た。「あの男をとって庭へ引き落とせ」とお命じになった。しかし、この二人の荒武者はさう簡単に手をかけなかった。かしこまって、「小松殿がどの様にお考へになるでせうか」と申し上げた。入道相国はまた怒り狂った。「よしよし、お前たちは重盛の命令を重く受け取って、清盛の命令は軽く聞き流すといふのだな。それではおれも仕方がないことよ」これを聞いた二人は、このままではまづいと思ったのであろう、立ち上がって、大納言を庭へ引き落とし申し上げた。入道は機嫌が良くなって「とってふせて喚かせよ」と命じられた。二人の者共は大納言の左右の耳に口を近づけて囁いた。「手荒なことはいたしません、お声だけ、さも苦しさうに張り上げてください」と申し上げてから、手足を引きふせた。大納言は大げさな悲鳴をふた声、み声立てられた。響き渡るその叫びたるや、冥土にあって娑婆世界の罪人を、あるいは業のはかりにかけ、あるいは浄玻璃の鏡に引き向けて、罪の軽重に応じて閻魔王が責めさいなまれるとかいふ話も、これほどではあるまいと思はれるほどであった。昔、漢の高祖に仕へた蕭何、樊噲、韓信、彭越はいづれも忠臣であったけれども、蕭何、樊噲は囚はれ、韓信、彭越は殺されて肉を塩漬けにされた。また、漢の景帝の臣であった鼂錯は殺され、周魏は罪を受けた。つまらぬものの讒言で禍敗の恥を受けたのはこの様な状況であったのであろうか。新大納言は、自分はかうなってしまったが、我が子丹波少将成經をはじめとして幼いものたちはどんな目にあふだろうかと思ひやると気が気ではなかった。こんなに暑い六月に、装束も緩やかにせず、暑さも耐へ難く、胸にせき上ってくるものがある心地がして、汗も涙も争ふ様に流れるのであった。「まさか小松殿は私をお見捨てになることはあるまい」とつぶやくが、誰をやってお願ひしようかとも思ひつかないのであった。

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秋の日差しの中の S:ta Katarina kyrka