Tre almarna

2019-10-19 (土)(令和元年己亥)<旧暦 9 月 21 日>(大安 己丑 八白土星)Tore Tor 第 42 週 第 25817 日

 

僕らの高校時代には、舟木一夫が「高校三年生」を歌って大ヒットした。その中に「楡の木陰にはずむ声」といふ歌詞が出てくる。カラオケで歌ってみることもあるくせに、僕は実際の「楡の木」を見て、ああ、これは楡だと分からない。さういへば、通学した高校の校歌に「庭にしたしむプラタナス」といふ歌詞もあった。校庭沿ひに並ぶ木々を見て「これがプラタナスなのだらうか」と当時思った記憶もある。が、やはりしっかり分からない。元来、樹木や草花への関心が薄く、その様なものは到底詩人にはなれない。ところで、「楡」のことをスウェーデン語では alm といふ。ついでに書けば複数は almar で、「その楡の木々」と定冠詞つきとして言ひたい時は almarna と語がだんだん長くなる。我が町の裁判所の近くに3本の almar があった。裁判所の建物が建設されるよりずっと前からそこにあって、樹齢は140 歳ほどであったか。その almarna が去年の夏あたりから様子がをかしくなった。葉は例年より早く落ち、たくさんの小枝が風で吹き落されたりした。almsjukan といふ楡の木の病気にかかったらしい。ネットで調べると日本語では「ニレ立枯病」と書いてある。専門家によると、少しをかしくなりかけたかなと思ふと後は一気に悪くなるものらしい。去年の夏の暑さと乾燥が原因かとも言はれる。となると異常気象の犠牲者かもしれない。本来ならもっと長い寿命を保つことができた筈なのに、3本の almarna は今週の木曜日に木樵のおじさんに切り倒された。早く切ってあげないと苦しかったかもしれない。今日のブログは Södermanlands Nyheter の10月18日の記事を見て書いた。

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庭の隅のつくばひには「吾唯知足」の文字も見えてまるで禅寺の様。昨日の写真(スウェーデンの日本庭園)の続き