京都アニメの放火事件

2019-07-20 (土)(令和元年己亥)<旧暦 6 月 18 日>(大安 戊午 九紫火星) Margareta Greta 第 29週 第 25727 日

 

京都アニメの放火事件は、一昨日のスウェーデンの地方紙 Södermanlands Nyheter の国際ニュース欄にも写真入りで出た。平和であるはずの日本で、テロの襲撃を受けたも同然で、まことに衝撃的な悲しむべきニュースであった。僕はアニメをほとんど見ないのだが、日本のアニメの水準の高さは世界的に高い評価を得てゐることは知ってゐる。その実態はごく一握りのアニメーターたちの手によって築かれてゐるのだと思ふ。そんな貴重な腕を持った人たちが 34名も一度に犠牲になって、本当に大きな損失と思ふ。一酸化炭素中毒の恐ろしさも日本の新聞に報じられた。煙にむせて苦しむ前に一酸化炭素で意識を失ったのではないか。非常階段の設置に関しても問題はあったかしれない。放火した犯人も重傷を負ったらしいが、受けた傷を自ら苦しむことで、34の命を奪ったことへの悔悟に繋がるだろうか。犯人を憎む気持ちの一方で、そこまで高まった欲求不満を周囲の誰もがこれまでになんとかしてやることができなかったのかといふ思ひもよぎる。ある特定の環境に身を置けば、人は誰でもいとも簡単に残虐な人間になってしまふのだ。警察力や防犯の強化によって似た様な事件の再発を防止することはできない。犯人を糾弾して恨みを晴らすよりも大事なことがある。深く病んでしまった日本の現状をどの様に回復させるべきか。他人事ではない、もっと根元的なところにある日本人の間違ひを、自分の身近なところで僕らは深く自覚しなければならないと思ふ。

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今日は Stockholm へ行った。Kungsholmen の海で。