ある幻想の思ひ出

2019-07-28 (日)(令和元年己亥)<旧暦 6 月 26 日>(先勝 丙寅 一白水星) Botvid Seved 第 30週 第 25735 日

 

高校1年生の時であった。家で漢文の教科書を眺めてゐた時に、僕はちょっと不思議な体験をした。文字の一つ一つが自分に何かを訴へてゐる様な感じがしたのだ。それは大げさに言へば霊的な体験であった。何の根拠も無いくせに、僕の遠い祖先は大陸から渡って来たに違ひない、とインスピレーションの様にその時強く思った。そこで一念発起して漢字の勉強を始めたならカッコよかったのだが、その体験はその時一回きりで、それ以上には全く進まなかった。あの体験は幻覚であり、不思議と言へば不思議であったが、後で考へればいくらでも合理的な解釈はできることであった。けれども星霜移り、仕事をやめて家に居る暮らしになって、ノートに漢字を少しばかり写してゐると、何か懐かしい気持ちになることはある。重要なことは、高校1年生の時に、家で英語の教科書を眺めても、ただの符号の様なアルファベットが並ぶだけで、そこからはどんなインスピレーションも受けることはなかったといふことだ。コンピュータはアルファベット文明の延長上に咲いた大輪と思ふが、うんと長い人類の文明史の中では、漢字文明の延長上に、まだ僕らが気づかぬ大きな世界がある様な気がしてゐる。

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外へ出るのは夕食後の散歩だけ。