我慢の意味

水 旧暦 12月16日 先負 辛亥 三碧木星 立春 満月 Ansgar Anselm V6 24102日目

多くの人は迷ひの中で生きてゐると思ふ。その迷ひのあり方は様々かも知れないが、僕の場合は「人はどこまで我慢すべきか」と言ふことで迷ってゐる。もしもあらゆる我慢が「意味のある我慢」と「意味のない我慢」とに分けられるものならば、それを判定する基準はどこにあるかで迷ってゐる。現代の様に文明が人間の我慢をどんどん軽減させてくれる時代にあっては、その基準の取り方が難しくなってゐる。それはまた、大げさな言ひ方をすれば、「人の愛とは何か」と言ふ問ひかけとどこかでつながってゐる。我慢は人から強ひられてするものではない。だが、我慢することに意味を見いだせない時、それはストレスとなってその人を苦しめることもある。心を傷つけるほど我慢してはいけないが、我慢を全くしなければ人の愛も分からない。行者はなぜ断食や荒行に挑むのだらうか、その我慢にはどんな意味があるのだらうか。今年もケーキ屋さんの店先にセムレが並ぶ様になった。後で断食もしないくせに僕はこの美味しいケーキを食べながら、我慢について迷ふのであった。