震災記念日

2019-03-11 (月)((未定)1 年己亥)<旧暦 2 月 5 日>(赤口 丁未 五黄土星) Edvin Egon 第 11 週 第 25597 日

 

夕方散歩に出ると空がとても澄んでゐた。気温は氷点下だが冷気が肌に心地よい。三日月が、こんなに高くかかることもあるのかと驚くほどの中天に、鋭く細くクッキリと浮かんでゐた。澄んだ夕方の空を眺めると、改めて東日本大震災からの8年の月日が思はれた。あの震災で犠牲になった人たちへの鎮魂や復興はもちろん大事であるけれども、それにもまして僕は、次なる災害への備へが気がかりだ。この8年の間にも東京はさらなる一極集中の度を深めてしまった。タワーマンションや高層ビルがみやこのあちこちに乱立してゐる。あの震災及び原発事故で得られた教訓は、「安全に絶対はない」といふことであった。神様の目から見れば、タワーマンションや高層ビルも絶対安全とは言へないのではないか。それなのに人々は文明と快適な暮らしを求めてお金をつぎ込んで平気で暮らしてゐる。悪い予想は控へるべきだが、板子一枚底は地獄も同然だ。新しい町や駅や建物を次々と建設するこの人間の営みも、一瞬にして灰燼に帰する恐れなきにしもあらず。警鐘をならすことは誰にもできるが、なった警鐘にどう対応すべきかは本当に難しい。機械文明がまだ低かった時代には「備へあれば憂ひなし」と言ふこともできた。だが、諸事が複雑に絡む現代にあってはどんな備へをすれば良いのか。そんな備へがあったとしても、それを倦まず弛まず日常生活の中で実践することは、結局は居心地の悪い暮らしに逆戻りすることを覚悟しないといけないのではないかとも思ふ。

 

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