男と女の力学

月 旧暦 8月20 日 先負 己巳 一白水星 Ingrid Inger V41 25080 日目

夫唱婦随とか婦唱夫随とかの言葉がある。良い響きに聞こえるが、そのいづれかが成立するのであって、両方が同時に成立することはない。テニスを打つのに、両方が対等であっても、ボールは一つしかないから、サーブを放つのはそのいづれか一方であって、両方が同時に放つことはできない。テニスの場合ならばゲームの動きが誰の目にも明らかだから、交互にサーブを放てば対等になるでせうといふ理屈もあるが、実生活ではサーブを放つのはどちらか一方に偏ってしまひがちで、それを是正しようとすると大抵は喧嘩になる。喧嘩をせずにおかうとすれば、どちらか一方が自分の思ふところを胸にしまふことになる。そしてまた、さういふルーチンになれてしまふと、たまに自分の方からサーブを放つ番が来ても却って億劫になる心理もある。昔は一般に女の方が我慢することを引き受けた。それはその方が女も楽な一面があったからである。人知れぬ女の忍耐が小説のテーマになることもあった。けれども、女性の輝く時代が叫ばれる今、女たちはこれで対等になれると考へたらそれは間違ひである。選択肢は自分がリードするかリードされるかのいづれかに限られる。漠然と男女対等の社会を夢見るのではなくて、そのどちらを選び取るかの覚悟をはっきりと持たねばならない。この様な男と女の力学の変化の陰で、世の中には人知れず耐へ忍ぶ男たちが増えてゐるのではないかと僕は危惧してゐる。そのうちに男の忍耐をテーマにした新しい小説のジャンルが生まれるかも知れない。