日蓮

土 旧暦 2月7日 友引 庚寅 六白金星 Adrian Adriana V9 24861 日目

どういふ拍子によるものか分からないのであるが、あまりやる気のない時に、昔読んだことのある本が気になって、急にもう一度読んでみたくなる時がある。そんな気分に誘はれて、矢内原忠雄「余の尊敬する人物」(岩波新書)の「日蓮」を読んだ。僕は日蓮の排他的強引さがあまり好きでないのだが、日蓮は大いなる勉学の末に「法華経」こそが正しい教へであると悟った。釈迦在世の時、始めの四十余年の間に説いた諸教は仮の教へであり、最後の八年の間に説いた法華経こそ唯一の正教であると日蓮は言ふ。その信念に基づき「立正安国論」を著した。その信念の固かったことは龍の口法難をはじめとする数々の伝説に残ってゐる。その経文を開いて見るに、法華経を保つものは世間から軽蔑憎悪せられ、無智の人々から悪口罵詈せられ、世の権力者からしばしば處を逐はれ、又杖木瓦石を以て打たれる等の文句があって、これらはいちいち日蓮の身に当たってゐた。日蓮はその迫害苦難に遇ふことを自らの悦びとしたのである。当時日本には正嘉の大地震、文永の大彗星を始め、旱魃、洪水、飢饉、悪疫等の変事が頻りに相次いだ。これらは人々が法華経に帰依しない故であると日蓮は説いた。さらに蒙古襲来の国難の際、朝廷より日蓮に対し護念の力を命ぜられ、日蓮は大旗に大曼荼羅を書いて献上した。この旗博多の朝嵐にひるがへる處、台風俄かに吹き起こり、蒙古の大軍は壊滅に帰したといふ。日蓮の時代と現代と、何か共通するところがあるのではないかとこの本を読みながら思ったことだった。