僕の反戦論

日 旧暦 1月23日 大安 丁丑 二黒土星 下弦 Gabriella Ella Sexagésima V7 24848 日目

殆どの日本国民は戦争に反対である。それは崇高な世界平和への理念からといふものではなくて、ひたすら、我が身が安全でありたいと願ふだけの理由で戦争に反対するのである。悪いことでは無い。だが、口で安全を求めながら自らは何もせずにゐて、もし安全が確保されなくなるとこれは時の政治家の責任だと言って糾弾する図式がある。そこに僕は違和感を抱く。これからの時代は危ない時代となるのではないかといふ嫌な予感があるが、政治家たちを批判するだけでは済まされない状況もあるのではないか。古来戦争は人類の歴史と共にあった。事情はそれぞれであったかしれないが、人々は何も戦争をしたかったのではなくて、止むに止まれぬ事情でずるずるとそこへ追ひ立てられ、あとで激しく後悔したのである。もしも僕たちが、我が身が安全でありたいと願ひ、戦争反対を口に唱へ、そしてもしもそれだけで世界平和が実現できたなら、今の世の中はもっと早くからもっと平和であったらうにとも思ふ。僕だって我が身の安全を求めたい。戦争反対は僕も唱へたい。だから結局は同じことなのだが、しかしそれを唱へる大衆の大合唱は僕には異質のものであることも確かだ。