豊原散策

日 旧暦 3月18日 友引 丙子 七赤金星 Vega V16 24536 日目

昨日の午後、散歩した。家から東に向かって歩き、北陸自動車道をくぐると、山が目前に迫って来る。小さい頃は果てしない田んぼが広がってゐたせゐか、山はひどく遠いものと思ひこんでゐたのだが、実際に自分の足で歩いてみると、「エッ、こんなに近かったのか」と驚いた。豊原寺跡まで行った。豊原寺は平泉寺ほどではなかったが、戦国時代の越前において一大勢力をなしてゐた。織田信長一乗谷朝倉義景を滅ぼした後、一向一揆の本拠地であった平泉寺、豊原寺をも滅ぼした。配下の柴田勝家は北庄に城を築くが、その甥であったとされる柴田勝豊は豊原城を任されることになった。そこで勝豊は山城であった豊原城を坂井平野へ移して新たに築城した。それが現在の丸岡城である。なぜ、引越ししたのかはよく知らない。この町に生まれた人間としては豊原を散歩した事もないのは不自然な気もする。実は小学生の頃一度だけ、町内会企画の散歩に連れて行ってもらって、郷土史家の伊東佑忠氏の説明を聞いた記憶があるのだが、内容は全然覚えてゐない。それ以降は一度も足を運んだ事がなかった。昨日、実際に歩いてみると、散歩コースになってゐて、畦の細道に足を踏み入れた時、「我が故郷に山河あり」の感を深くした。新緑も目に鮮やかであった。途中で一人の人にも出会はなかったので、熊や猪に遭遇した時の対処の仕方が心配であった。3時間で10kmほど歩き回って家に戻った。