自慢と我慢

土 旧暦 1月6日 赤口 乙丑 八白土星 Agne Ove V6 24465 日目

「自」も「我」も自分自身の事を指すと思ふのだが、その下に「慢」をつけてできる言葉は意味が反対を向く。「自慢」と「我慢」。一方はアクセル、他方はブレーキ。「ここで本当は自慢したいのだが我慢して控える」こともあれば「ここで我慢すべきかもしれないが自慢してしまふ」こともある。そもそも一般的に言って、我慢することにどれだけの意味があるのかは分からない。しなくても良い我慢をしてその挙句に「僕はこんなに我慢強いんだ」と自慢する人もあるかしれない。あんまり我慢して自分を押さへつけて、屈折した感情を持ちながら生活するのは本人にとっても周囲の人にとっても良くないから、我慢をするのも程々が良い。が、一方で、人の自慢話を聞く時は多少聞く方が我慢をせねばならない。「聞いてあげる」といふ気持ちで心に余裕を持つことにする。他人の迷惑にならないためには自慢したい時にそれを抑へようといふ気持ちを持たねばならないのだが、これがなかなかむつかしい。自分の場合から推し量ると、人は何かを自慢する時、「この人になら聞いてもらへる」といふ甘えの気持ちがあるのかもしれない。であれば、「聞いてあげる」状況は自分が信頼されてゐる事の証かもしれない。