多磨霊園

金 旧暦 2月8日 先負 壬寅 九紫火星 上弦 Rudolf Ralf V13 24153日目

同居人の実家のお墓は多磨霊園にある。それで、日本へ来て東京に滞在する間には、お墓参りをすることがひとつの行事になってゐる。今日はその日であった。日差しは暖かく、園内の桜並木はもう蕾が膨らみ始める感じがあった。霊園といふところはいつ行っても、方向感覚の悪い僕にはどうにも分かり難い。マップが碁盤の目の様になってゐればまだ良いのだが、主要道路が円弧を描く様にカーブしてゐたり、円弧の一角から対角線をなす様に配置された道があるので分かり難いのである。人は死ねば魂と肉体とは切り離されるものだと、一応僕はその様に思ってゐる。だが、同時に、例へば太平洋の島々で飢死した人たちの遺骨とその周辺には、きっと積年の無念が渦巻いてゐるだらうとも思はれる。この何気ない平凡な道にだって、そこには僕の知らないどんな過去が隠されてゐるか分からない。それで僕は、知らない道を歩く時はいつも、取り分け墓所を歩く時には心して、少し緊張して斜に構へる様な気分で歩く。早く言へば臆病なのだ。そんな気分で霊園を歩くものだから、心理的に変なバイアスがかかって、余計に道に迷ふ気もする。数日前、フランス南東部のアルプス山中に墜落したドイツLCC会社の旅客機は、副操縦士が単独で故意に墜落させた疑ひが濃いと報道された。機械上の不備による事故でなかったことが明らかになったといふ意味ではひとつの展開が見られたが、しかしそれはまた何と恐るべき事態であることかと衝撃を受けた。これから世界中でパイロット不足が進行する中で、似た様な事故が再発しないとは限らない。年少者は病んでゐる。犯罪者たちは病んでゐる。テロリストたちは病んでゐる。世界中が病んでゐる。これからは旅客機を自動操縦させた方が安心といふ見方もあるのではないか。犠牲になった乗員乗客150人の怨念はアルプス山中に今後も渦を巻く様に潜むだらうか。合掌。