仰げば尊し

月 旧暦 1月26日 友引 辛卯 七赤金星 Herbert Gilbert V12 24142日目

3月は別れの季節、4月は出会ひの季節である。その様な感慨を持つことは、人間関係が希薄になり、おそらく同期卒業生の名簿作りさへ出来ないであらう昨今では、当てはまらないのかもしれない。だが、僕らの子供時代は、3月の別れと4月の出会ひは、大きな悲しみであり、また喜びであった。小学校時代の卒業式・終業式では毎年「仰げば尊し」を歌った。一番を卒業生が、二番を在校生が歌った記憶がある。子供であった僕は「今こそ別れめ」の「め」は「金の切れ目が縁の切れ目」と同じ「め」であると思ってゐた。子供心にどこか少し変な気もしてゐたのだが、あまり深く考へなかった。高校生になって「係り結びの法則」を習った時、ハッと気がついて、あれは「今別れむ」が元の形であるに違ひないと思ひあたった。その時、謎が解けた様ですごくうれしかった。と、同時に、「む」が意志の助動詞であったことに衝撃を受けた。それまでは、別れといふものは、時が来ればひとりでに当たり前に向かうからやって来るものと思ってゐた。それをこの詩では、自らの意志と覚悟によってここで別れようと告げてゐるのである。今まで平面的に眺めてゐたこの詩が、急に膨らみを持って自分に迫って来るのを感じた。そして、別れは悲しいものであるけれど、自らの意志でそれを選びとる時、別れは勇気と希望の元である様な気もした。卒業式だけでなく、人生で遭遇するあらゆる別れといふものを、自らの意志で選び取らうと思ふ様になったのはずっと後年のことである。