母の思ひ出

水 旧暦 1月6日 赤口 丁未 八白土星 Agata Agda V6 23737日目

母が亡くなって5年目の春が来た。どんな人にとっても母親は特別な存在であらうと思ふが、僕の場合も例外ではなかった。自分は母親から深く愛されてゐるものと随分小さい頃から自覚してゐたが、その程度に於いて、普通の母子よりも僕の場合は著しく愛されてゐるのではないかと思はれて仕方が無かった。それがある意味では負担でもあった。でもそれは誰もがその様に思ふものかもしれなくて、自分だけが特別ではあるまいとも思ってゐた。高校を卒業してからは親元を離れて暮らす様になったので、気分的に楽になった。と言ふのも、僕は気の弱い人間で、世の中ではよく「弱音を吐くな」と諭されるが、僕は弱音を吐かずには生きて居られない人間なのだ。けれども、あんなにも僕のことを心配してくれる母親の前では容易に弱音を吐くことが出来ない。親元を離れて暮らす様になって、思ひ切り気兼ねなく弱音を吐くことが出来る様になったことは、僕には開放感があってありがたかった。周りは随分迷惑したであらうが。これは今だから話すことの出来る僕の思ひ出だ。仏に手を合はせた時、そんなことも思った。

閼伽の水 ぬるみて今朝の 春の雪

Aqua water before the family altar

turned soft and smooth in the morning

while spring snow shines outside the window