愛する人に漏らしてはいけない言葉

2019-09-26 (木)(令和元年己亥)<旧暦 8 月 28 日>(大安 丙寅 四緑木星) Enar Einar 第 39週 第 25795 日

 

気障な書き出しであるが、「愛する人に漏らしていけない言葉は何人に対しても漏らしてはいけない」といふことを思ふ。高校を卒業した後、僕は勉強するために東京へ出た。故郷を離れ、親たちに監視されない世界で生きることは新鮮であり喜びであった。そんな開放感のうちには、「そんなにも自分のことを心配してくれる人の前でなければ平気で弱音もはける」といふ安易な安堵感もあったかしれない。生まれながらに気弱な僕は何かにつけて弱音をはかなければ生きていけない。本を読めば「弱音を吐くな」とか勇ましいことが書いてあるけれども、僕には無理な生き方である。「弱音、ため息、ひとりごと」を支へに生きる人生もあるのだ。けれども、たまに帰省した時などに、うっかり母親の前で弱音を吐くと心配されてしまふこともあった。いつでもどこでも弱音がはけるものではないことを知る。いつでも母親に見られてゐると思へば、弱音が吐ける場所はない。それで冒頭のセリフになるわけである。その母も10年前に亡くなった。今でも思ひ返すと、あれだけ弱気だった僕が長年勤めた会社を辞めて日本を飛び出し、外国の会社に雇ってもらって定年になるまで勤め上げることができたのは奇跡といふほかはない。過去の僕を知る誰がそんなことを予想できただろうか。事実は小説より奇なり。見えない力に護られ導かれたと思ふ他はない。

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夕空晴れて秋風吹き。次第に変はりゆく夕空の色。