鬼の居ぬ間にすることは

土 旧暦 10月8日 大安 丁卯 三碧木星 Kristian, Krister V45 22557日目

地方の日本人会の集まりで、早めのクリスマス会の日であったが、気持ちの上にそういう場へ出かけるゆとりが無くて、失礼してしまった。同居人はお泊り会とか言っていそいそとお昼から出かけた。バス乗り場まで送った後で会社に出た。何人か仕事に出ていたが、そのうちの一人が夕方になってからケーキを一緒に食べないかと誘って来た。お茶の部屋へ行ってみると7人いた。休日出勤であるので、普通の日のお茶の時間とは少し違った和やかさがあるように思った。スウェーデンの会社であるが、7人のうちにスウェーデン人は一人のみであった。その人は明日の飛行機で日本へ行くのでその準備で来たのである。6つの国から来ている7人の集まりとなって、その組み合わせがちょっと面白い気がした。こういう場合は言葉は自然に英語になる。その後はあまり仕事ものらないので家に帰った。同居人は僕を一人にするのが気にかかるらしく、出かける前に鍋にカレーライスを拵えておいてくれた。日本ではスーパーなどに行けばお惣菜が売っているがこちらにはそういうサービスは無い。それだから食べるものを用意しておいてくれるのは有難いと言えば有難い。せっかく作ってくれてあるのでそれを一人でいただいた。後は長い夜になった。明日は何をしようか。そういえば昔から日本では鬼の居ぬ間の洗濯などというが、家事の一部を担当するものの体験から来る言い分としては、鬼の居ぬ間になすべき事は洗濯ではなくて掃除であるべきだ。あの人は次にこれこれをするであろうからこの部屋を使うだろう。されば僕はあちらの部屋から掃除を始めようとすると必ず予想が外れて、どういうわけか僕の掃除をしようとする先へ先へとフシギにあの人は移動してくる。かと言って、「次はどの部屋を使いますか」と聞くのもイヤミと言うか野暮というか、それに変にストレスを与えるので黙って掃除をする。相手の動きを決して遮ることなく、しかもできるだけ音を立てないように掃除をするのが、人知れぬ掃除人のプライドというものである。そうは言いながら、誰もいない部屋を掃除するのは能率が良い。鬼の居ぬ間の掃除とは、こういう体験に裏打ちされた真理である。「亭主元気で留守が良い」という名言がどういう具体的状況から生まれてきたのか僕には分かるような気がするのである。