「日本の、これから」を見て

日 旧暦 6月26日 先勝 癸巳 七赤金星 Brynolf 10e. tref. V33 22104日目

日本の、これから」という討論番組を見た。日本は核武装すべきである、という穏やかならぬ極論を持つ人の意見が、公共のテレビ番組で公然と流れることに、隔世の感にうたれると言うか、ともかく驚きを禁じえなかった。日本は核を持たないことでそれなりに世界から信頼されているのである。我も我もという諸国の核保有レースの後塵を拝して日本もまた参加することになれば、国際関係の緊張はいらざる高まりを示すことになるし、日本の信用は間違いなく低下する。失うものはそればかりではない。核兵器保有するということが如何にわが国の経済を疲弊することになるか、表向きに発表することのできない犠牲者をどれだけ多く出すことになるか、分かったものではない。今、核兵器保有している国々は、間違いなくその後生に、大いなる禍と大いなる財政的負担と大いなる負の遺産を残すことになる。日本だけはどうしてもその愚を避けて欲しい。日本は唯一の被爆国である。その国が核兵器保有するということになれば、世界は日本をどう見るであろう。「あの犠牲を払った日本さえ、時間が経てばこんなものさ」と核保有諸国の慢心に油を注ぐことになるのではないだろうか。核抑止力を言う人もある。けれどもそれは核を保有してしまった人間どもが、何とか自分達を正当化しようとして思いついた言訳であり、詭弁に過ぎない。正しい光に照らされて導き出された平和論では到底ありえないのである。「和をもって尊しとなす」。どうか、日本は核を保有しないで欲しい。こんな平易な自明の理をわざわざ書かねばならないのは、何とも残念な時代である。