西行の和歌における

木 旧暦12月10日 先負 丙辰 八白土星 Anton, Tony V03 21527日目

昨日の「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における」において何故「の」と「が」の組み合わせがこのとおりでなければならないかは僕にはうまく説明できない。そんな感じがするだけである。ここだけを眺めていても多分答は出てこなくて、「其貫道する物は一なり」にかかっているところに注目しないといけないのではないかと思う。「AがBはCなり」というと、「Aが(BはCなり)」とは分けられなくて、「(AがB)はCなり」と分けられる。同様に「AはBがCなり」というと、「(AはB)がCなり」とは分けられなくて、「Aは(BがCなり)」となる。その辺にヒントが隠れているように思うのである。うーん、やはり苦しいかな。「象は鼻が長い」という本を読めば何か書いてあるかもしれない。買って帰ろうか。