平家物語 巻第四 「鵼 5」

2023-05-14 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 3 月 25 日>(先負 壬申 三碧木星) Halvard Halvar  第 19 週 第 27123 日

 

そんなことがあってからさらに十年が過ぎた。應保の御代となり、二条院御在位の時であったが、またしても鵼といふ化鳥が禁中に鳴いて、しばしば宸襟をなやますことがあった。先例があるので今回も頼政の出番である。ころはさつき二十日あまりのまだ宵のことであった。鵼がただ一声鳴いて、二声鳴かなかった。何かで目を刺してもわからないほどの暗闇の中である。すがたかたちが見えないので、矢の狙ひどころもわからない。頼政は一計を案じた。まづ大鏑を取ってつがひ、鵼の声のした内裏の上へ射上げた。鵼はかぶらの音に驚いて、虚空にしばしチチチと鳴いた。二の矢に小鏑取ってつがひ、ヒッと矢が飛んだかと思ふとフッと射切って、鵼とかぶらと並んで前に落ちた。禁中ざざめきあひ、御感なのめならず。御衣を褒美にお与へになった。その時は大炊御門の右大臣公能公(徳大寺公能)が取り次いで、頼政の肩にかけやうとして、「昔の楚の弓の名人養由は雲の外の鴈を射たといふ。今の頼政は雨のうちに鵼を射た」と感ふかげであった。そして

五月やみ名をあらはせるこよひかな

と語りかけられた(このさつき闇の中で名を上げましたね)。すると頼政

たそかれ時もすぎぬとおもふに

と応じて(私も人生のたそがれを過ぎましたし、といふ意味もあるか)、御衣を肩にかけて退出した。その後伊豆国を賜り、子息仲綱を受領にして、自分は三位に叙せられて、丹波の五ケ庄、若狭のとう宮河(若狭国遠敷郡宮川のことかと注記にあり)を知行して、かうして無事に余生を過ごせたはずのお人なのに、よしなき謀反を起こしたばかりに、宮もお亡くなりになってしまって、自分もまた滅んでしまったのは残念なことである。

新緑に心を奪はれさうになる時がある