認知症と旅行

2022-10-31 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 10 月 7 日>(仏滅 丁巳 四緑木星) Edit, Edgar 第 44 週 第 26928 日

 

あまり高齢になってから引っ越しすることは、認知症の人にはよくないと聞いたことがある。旅行はどうだろう。その人の性格に依ると思ふ。同居人の場合は、若い頃は自分で進んで旅行の計画を立ててくれたので、僕はただついていくだけで良かった。今ではもはやそのような判断力も衰へたので、僕の方が旅行の計画をするのである。やはり旅に出ると、日常とは違ふ新しい感じがあって、旅を喜びと思ってくれるらしい。3年ぶりの日本の家に着いた時、あまりに庭いっぱいに草がぼうぼうと茂って、ススキの穂など人の背丈程もあるのに僕は幻滅したのだが、同居人は「庭を綺麗にするのは私の楽しみだ」と言って、毎日せっせと庭を綺麗にしてくれた。朝になってお日様の光をみると、「天は我に味方せり」とか言って庭に出て草取りを始めるのである。これは本当にありがたかった。隠れてしまった庭石が見えるようにと方針を立てて、「ああ、ここにも石がある」と感動しながら庭をきれいにしてくれるのであった。あらかた庭がきれいになってから、台所で食事をした時のことである。こちらの引き戸、あちらの窓を開けておくと、気持ちの良い季節の風が穏やかに通って、なんとも良い感じであった。飛び飛びに並ぶ庭石があらはになったのを眺めながらつましい食事を取ると、「ああ、なんて贅沢な時でせう」と言って、同居人は心底、満足げなのである。これには僕も頭が下がってしまった。認知症で、判断力は衰へたかもしれないが、この世界の素晴らしさを称賛する感性の働きにおいて、僕は到底この人にかなはないなと思った。そもそも生きるとは、まさにこのような感動に身を任せることではなかったか。日本を離れる日には、早く帰りたい気持ちと、名残惜しい気持ちとが半ばするといふ感想を語ってくれた。こんな風に喜びながら僕の旅行につきあってくれたことに感謝したい。

手のつけようもないかと思はれた荒れた庭が、同居人の頑張りできれいになった。