平家物語 巻第四 「源氏揃 4」

2022-08-26 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 29 日>(大安 辛亥 七赤金星) Östen 第 34 週 第 26862 日

 

高倉の宮(以仁王)は、源頼政が言ひ出したことはあまりなことであったので、しばしはお聞き入れになることもなかった。阿古丸大納言宗通卿の孫で、備後前司季通の子、少納言伊長といふ人がゐた。人相を見てよく当たると評判が高かったので、時の人からは相少納言と呼ばれてゐた。その人が以仁王に接見して、「天皇の位におつきになる相があります。天下のことをおあきらめになるべきではありません」と申し上げた。また、源三位入道(源頼政)も同じことを言ふので、「もしかするとこれは天照大神のお告げではないだらうか」とお思ひになり始め、さうなると今度はテキパキと計画をおすすめになるのであった。熊野に居る十郎義盛を召して蔵人になされた。つまり、高倉の宮家の事務を司る位につけられたのである。名前も行家と改めて、令旨のお使ひとして東國へ下ることになった。

治承4年(1180年)4月28日に、都を立って、近江國より始めて、美濃尾張の源氏どもに次第にふれて行き、5月10日には伊豆の北条(静岡県田方郡韮山村と注記にあるが、今は伊豆の国市)に下り着いた。流人前兵衛佐殿(源頼朝)に令旨を奉った。さらに、信太三郎先生義憲は我が兄であるから令旨を与へようと言って常陸國信太浮嶋(霞ヶ浦茨城県稲敷市浮島)へ下った。また、木曾冠者義仲は甥であるから令旨を賜らうと言って、中仙道に赴いた。

散歩道の木々も、夕日に映えると少し秋の色に染まり始めたか