平家物語「鹿谷1」

2020-07-19 (日)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 29 日> (先負 癸亥 一白水星) Sara 第 29 週 第 26091 日

 

今日のブログは7月5日付の記事の続きである。いよいよ平家物語のハイライトのひとつ「鹿谷」に入った(シシガタニと読むのが一般の様な気がするが、岩波古典文学大系ではシシノタニと振仮名がふられてゐる)。東山のふもとに俊寛僧都の山荘があった。うしろは三井寺に続くとある。地図で見ると、大文字山、如意ヶ岳あたりから山を越えて琵琶湖の方に降りれば三井寺がある。でも随分と距離があるなと思った。今年はコロナで密集を避けるために五山送り火も縮小するらしい。「大」の字も読めないかもしれないとネットのニュースで見た。それはともかく、手書きで写し取った「鹿谷」の最初の部分から自分なりのメモを以下に書く。

 

殿下乗合の事件があったために、高倉天皇元服のお打合せは延期され、10月25日に後白河院の殿上で行はれた。藤原基房殿は、摂政のお身分のままでゐらっしゃるわけにもいかないので、11月9日に内示があり、14日に太政大臣に昇進された。17日にはその昇進のお礼を申し上げる儀式もあったが、世の人々はこのことを不愉快に思ってゐる様であった。

さうしてその年がくれた。明けて嘉応3年(1171年)1月5日、高倉天皇がご元服なさった。御年11歳である。13日には院の御所のご両親へご挨拶に向かはれた。後白河院と建春門院は楽しみに待ち受けておいでで、初めて冠を被った高倉天皇のご様子をどんなに可愛らしく思し召されたことだろう。天皇は、入道相國の御娘を女御として迎へられた。平徳子(後の建礼門院)御年15歳、後白河法皇の御養子として入られた。

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教会と空と雲