平家物語「大臣流罪 1」

2022-05-09 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 9 日>(赤口 壬戌 二黒土星)上弦 Reidar Reidun 第 19 週 第 26759 日

 

憲法印は、怒りの平清盛に向かって冷や水を浴びせるようなお返事を申し上げてから御所へ戻り、面会して来た様子を後白河院に申し上げた。「さうか、もっともなことだな」と院は他におっしゃることもなかった。11月16日(治承3年、1179年)になると、関白殿をはじめ、太政大臣以下の公卿・殿上人43人が追放されるといふ事件が起きた。これは平清盛がかねてから思ってゐたことを実行に移したのである。関白殿(藤原基房)を太宰師に移し、鎮西(佐賀県といふより、昔は九州全体のことを鎮西と言った)へ流すと決まった。関白殿は「このような世にはどうにもかうにもならないものだ」と言って、鳥羽の辺の古川といふ場所でご出家になった。御年35歳であった。「礼儀作法を良く知り、たいそう智恵のあるお方でゐらっしゃったのに」と言って、世の人々はひどくその出家を惜しんだ。遠流の人が配流の途上で出家した場合、約束の地へは流さないことになってゐた。それで関白殿の場合も、初めは日向国に流される予定であったのが、備前国府の辺の、井ばさまといふところ(岡山県湯迫)に留められることになった。

Anna Lindhs plats, Nyköping