平家物語「城南之離宮 1」

2022-06-25 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 27 日>(先勝 己酉 四緑木星) Midsommardagen David Salomon  第 25 週 第 26806 日

 

「すべての行ひの中で一番のものは孝行である。明王は孝をもって天下を治めた」と言はれる。唐堯は老い衰えた父を尊び、虞舜は心のねじけた母を敬ったといふ。その様な賢王聖主の規定を、高倉天皇はそのままお手本にされてゐて、立派でゐらっしゃることだ。

その頃、内裏にゐらっしゃる高倉天皇は鳥羽殿にゐらっしゃるお父上の後白河院にひそかにお手紙をお書きになった。「この様な時代には禁中で天皇の位についてゐても何ができるでせうか。寛平の昔には宇多天皇は譲位後出家して各地を旅せられました。また花山法皇は在位2年で出家され風雅な生活をお送りになりました。その様な古を尋ねて、この私も家を出、世を逃れ、山林流浪の行者になりたいものでございます。」とお便りをなさった。後白河法皇はお返事をお書きになった。「その様なことを思はれてはなりません。あなたがかうして皇位にをられることこそ私の唯一の頼みなのです。ご希望の様に出家して姿を消してしまはれたならば、私は何を頼りにすれば良いのでせう。この愚老のどうにもかうにもならない状況をご配慮ください。」と書かれてあったので、高倉天皇はそのお返事をお顔に押し当てて、お涙にお沈みになった。昔の言葉に「君は舟である。臣は水である。」とある。水よく舟を浮かべ、水また舟を覆す。臣はよく君をたもち、臣はまた君を覆す。保元平治の頃は清盛は君をたもち奉ったけれども、安元治承の今は君をないがしろにしてゐる。史書の文にある通りである。

真夏の青い空