終末論

2022-04-19 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 19 日>(先負 壬寅 九紫火星) Olaus Ola 第 16 週 第 26739 日

 

末法思想は仏教のものだが、キリスト教には終末思想がある。つまり、この世にはいつか終はりがきて、キリストが地上の裁きのために天国から再臨することになってゐる。週末の時には、すでに死んだものも改めて裁きを受けることになる。どんな昔の出来事も記録として残されてある。仏教では閻魔大王が冥界の王様として死者の生前の罪を裁く事になってゐるが、それに近い感じがあるかなと思ふ。自分では全然悪いことだと思ってなかったことが、閻魔様からそれは罪だと宣告されることもあるかもしれない。胸に手を当てて悪かったと思ひあたることだけが罪ではないのかもしれない。また、この世の出来事はどんな小さいことも全て記録されてゐるのかなと思ふ。本人がいくら証拠隠滅のために書類を燃やしても、国会答弁で詭弁を弄しても、消え去ることのない情報が宇宙に残るのかなと思ふ。宇宙の姿を見るのに、情報といふ観点から見ることを解説されることがある。情報量はエントロピーと呼ばれるが、なぜ熱力学に出てくる用語であるエントロピー情報理論に出てくるのか、最初のころ不思議に思った。それにはきっと深い意味があるのだ。時の流れとともにエントロピーは増大する。終末論から変なところに想像が及んでしまった。

Nyköping 川の東側区域にある Alla Helgona kyrka