ひとこと文句を言ふ時は

2021-01-23 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 12 月 11 日> (仏滅 辛未 八白土星) Frej Freja   第 3 週 第 26279 日

 

僕は保守的人間であると自分で思ふ。身の周りに自分とは違ったタイプの人がゐて物事がなかなか思ふ様に進まない時、相手を責めるのではなくて、自分の方の力量がその程度でしかないからさうなるのだと考へるのである。自分の方がまづ変はれば、相手はそれに気づいて態度を変へてくれるかもしれない。迂遠な方法ではあるけれども、こんな風に考へると、文句を言ふことが少なくなる。表向きにはさうであるし、それでうまくいく場合もあるが、自分の内部には不満がたまることもある。こいつは何をしても不平を言はないやつだと舐められることもある。わがままとはまた違ったものとして、自分の不平を相手にはっきりと言ふことが必要な場合がある。でないと、表向き、対人関係に波風が立たない様にするばかりで、内には他のことを考へて、陰険な人間になってしまふ。自分では何も言ひださないくせに、誰かが何かを言ってくれるのを待って、問題が良い方向へ向かふとそれに便乗するのは卑怯かもしれない。理屈っぽいことを書いたが、上の階に住む人の子供が夜中も走り回って、遅くまでうるさくて仕方がない。子供は暴れ回るものだし、ここは我慢してあげないといけないな、と僕個人は思ふのだが、隣近所の人たちも同じ様に困ってゐるらしい。外で顔を合はせると、「おたくは真下なのにうるさくないの?うちはもう我慢ができない。夜眠れない。自治会の会長さんにでも頼んで苦情を言ってもらひませうか」みたいなことになってゐるのである。組織で苦情を申し入れたりすると、上の人は却って頑なになってしまふかもしれない。かう言ふ問題はなるべくインフォーマルなうちに解決した方が良いのである。さう思った僕は、昨夜、うるさくなった頃を見計らって、その家の呼び鈴を押し、対応に出て来たおっさんに、もう少し静かにしてくれませんかと言ってみた。相手はスンナリと分かってくれた。僕にはこれまで、この様に人様に向かって文句をいふことがなかったので、新鮮な体験であった。相手は全身に刺青をしたちょっと怖いおっさんである。外ですれ違っても挨拶もしない人であるが、このおっさんだってお釈迦様の生まれ変はりかもしれない。「一切衆生悉有仏性」と低く唱へて、相手に対する尊敬の気持ちを最大限に持って、しかも卑屈にならない様に心がけながらやってみた。人様に文句を言ふ時はその様な心構へが大事かなと思ったことだった。

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昨日の写真と同じ場所かな。大寒にしては暖かな午後であった。