平家物語「座主流2」

2020-10-03 (土)(令和2年庚子)<旧暦 8 月 17 日> (赤口 己卯 六白金星) Evald Osvald   第 40 週 第 26167 日

 

治承元年(1177年)5月5日、天台座主明雲大僧正は公の法会に召される資格を停止された。また山門の護持僧は宮中で如意輪法を修するのでその本尊である如意輪の御本尊をこれまで預かってゐたのだが、蔵人のお使ひが来てそれを召し返され、天皇の身体護持の祈祷をするお役目も取り上げられてしまった。検非違使庁から使ひが来て、この度神輿が内裏へ入って暴れた衆徒の張本人を召された。加賀国に座主の御坊領があり、国司師高がこれを停廃したので、それを根に持って大衆を扇動し、師高兄弟の処分を訴えたのであろう、それがもとで朝廷の一大事に及んだのである。西光法師父子がその様に讒言すると、後白河院は大いにお怒りになった。特に重罪に処せられるだろうといふ雰囲気であった。後白河院のお怒りを察した明雲は、延暦寺の印とかぎをお返しして、座主の地位を辞退申し上げた。それで同じ月の11日に、鳥羽院の第七の宮である覚快法親王天台座主におなりになった。青蓮院の大僧正、行玄の御弟子である。同じ日に前座主は職務を停止され、検非違使二人が監視につき、井戸にふたをし、火に水をかけ、水火の使用を禁じられた。今で言へばガスも水道も電気も止められた様なものである。このために、大衆がまた町に降りて来て大暴れするのではないかと噂が立ち、京中はまたもや大騒ぎになった。

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曇り空でやや風のある午後であった。