仕事の思ひ出

2020-06-02 (火)(令和2年庚子)<旧暦閏 4 月 11 日> (友引 丙子 四緑木星) Rutger Roger 第 23 週 第 26044 日

 

暇な暮らしをしてゐると、昔の忙しかった日々を思ひ出すことがある。それも特に日本に居た頃を思ひ出す。仕事で現場に出ることも多かったが、現場に出た方が色々と勉強になることが多かった。それで現場が嫌ひではなかった。現場の状況を自分の目でよく見て確かめてそれを報告する人と、報告を受けて全体を把握する人とがある。仕事を仕上げなければならない期限が迫って逼迫し、もしも現場が火事場の様になったらどうだろうか。さうならない様にするのが管理業務であるのだが、仕事の下手な僕はいつも追ひ込まれてゐた。現場で一消防士となったつもりで火を消しに走りたいのだが、そこを「ちょっとキミ」と呼び止められて状況を説明しなければならない。状況を説明してゐる間にも状況は悪くなる一方なので、こんな説明は後回しにして、先に作業をさせて欲しいのだが、さうはいかない場合が多かった。今の世の中でも、何か出来事が起こると、「情報が錯乱してゐる」とか「情報がない」とか「情報を隠してゐるのではないか」とか批判を聞くことがあるが、何かの出来事が起きた時に、その状況を報告すると言っても、何をどの様に報告すべきか、自明では無い。報告とは結局はことばの力によるんだと思ふ。正確に客観的にしかも素早く状況を人に伝へることなんてできないのではないかと思ふ。その様にまとめ上げるためには現場の人に高い能力が要求されるのだと思ふ。そのことに思ひをいたさないで、報告が遅いとか情報が無いとか、一方的に叱りつける人に僕はあまり共感できない。情報は座って待って得られることが当たり前と思ってはいけないのではないか。座って待つしかない場合でも積極的に想像をめぐらせることは大事と思ふ。想像をめぐらせることによって、フェークニュースを見破ることもできるかしれない。

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