現地生活が長いのになぜ言葉ができないかーその1

2019-06-26 (水)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 24 日>(仏滅 甲午 六白金星)Rakel Lea 第 26週 第 25703 日

 

僕がスウェーデンに来た当初は、スウェーデン語を勉強しようといふ気持ちは毫もなかった。いきなり見知らぬ国へやって来て仕事をするのに、英語の力も覚束なく自信がなかった。英語すらまともにできないくせに、スウェーデン語まで勉強して両方とも低いレベルで低迷するよりは、少しはマシな英語を頼りに、これを伸ばすべきではないかと思ったのである。職場には色々な国から来た人が多かったこともあり、英語でやりとりするのが普通であった。スウェーデンの会社に雇はれた時の条件として、最初の半年ほどは、勤務時間中に移民者のためのスウェーデン語学校へ行くことが認められ、さうする様に会社から勧められた。だが、僕にしてみれば冗談ではなかった。そもそもこの国へ来たのは、「さて、これから何をしようか」といふ状況では全くなくて、日本のお客様に納めるべき製品を差し迫った期限内に仕上げなければならない必須の大目標があったのである。もし午前中に語学学校へ行って、午後から会社に出て、それからみんなとお茶を飲んでお話しして、とやってゐたら、とてもではないがプロジェクトの完成が納期に間に合はなくなることは必定であった。がむしゃらに働くことは僕ももちろん嫌ひだが、さりとてその様なペースで進めて行って日本向けの仕事が期限内におさまるとは到底思はれなかったのである。この辺の認識は当時のスウェーデンの人たちと僕との間では相当ずれてゐた。会社にしてみれば、僕の様な新人の一兵卒にそこまで責任を感じてもらはなくて良い、といふ雰囲気であったけれども、僕にはもっとやるべき仕事があることを上司に説明して、勤務中に語学学校へ行く権利はとりあへず返上した(今の日本でも働き方改革が叫ばれてゐるが、現場から見たその様な視点からの発想を無視して進めるわけにもいかないことは一般ではないかと思ふ)。このプロジェクトが完成すれば、もう日本に帰ることになるかもしれないのだし、どこまでこの国でやって行くことができるかは未知数であったから、スウェーデン語を学ぼうといふ気持ちはさらさら起きなかった。日常的なことのスウェーデン語は全て同居人に任せた。同居人は初めのうちは仕事がなくて毎日語学学校へ行くだけであった。その出席時間に対してはコミューンが給与をくれたことを覚えてゐる。やがて同居人のスウェーデン語は上達した。それで僕はますますスウェーデン語に馴染むことがなかった。

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Stavsjö にて