言葉の勉強

2018-11-06 (火)(平成 30 年戊戌)<旧暦 9 月 29 日>(先勝 壬寅 四緑木星) Gustav Adolfsdagen  第45週 第 25472 日

 

僕は仕事ひとすじの人間であったから、現役で仕事をしてゐた頃はあまり仕事以外のことに時間を割くことがなかった。それでどうしても社会の中で孤立した一面があった。その点、同居人は地域社会の中に溶けるのが実にうまい。その差はどこから来るのだらうか。それは性格から来るよりは、基本的な語学の力不足から来るのだと思ふ。最近は日本にも外国人が増えたが、親に連れられて来た子供達の中には、母国語も日本語も両方とも中途半端にしか理解できない「ダブルリミテッド」になってしまふ子も多いらしい。わかる気がする。また、英語の教材などで「聞き流すだけで力がつく」とかの宣伝文句を見ることもあるが、僕はあれだけは信じられない。言葉といふものは仕事のためにこそ必要なのかもしれないが、僕の場合はろくに言葉もできない劣等感を抱へたままで定年まで行ってしまった。内容や目標さへしっかり持ってゐれば「言葉は下手でも何とか仕事ができる」場合もあるのだ。でも、これからはそんな訳にも行くまいと思って、定年後は、毎日の日課スウェーデン語を少しづつ勉強する時間を設けた。ところが、旅行などに出ると、この習慣が壊れてしまふ。旅行が終はって日課を元に戻さうとする時、実にその言葉が遠くへ後退してしまってゐることに気がつく。もう一度気を取り直して日課を元に戻さねばならない。

 

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もみじ葉は白い小石によく映える。(俳句のつもりぢゃないからね)