なんのための勉強か

2018-12-29 (土)(平成 30 年戊戌)<旧暦 11 月 23 日>(先負 乙未 五黄土星)下弦 Natalia Natalie  第52週 第 25525 日

 

僕は生まれてから中学校を卒業するまでの間は、自分の家から半径 700 m ほどの圏内だけで暮らした。今でも方向感覚が悪いのは小さい頃の行動半径があまりに小さかったことが影響してゐるかもしれない。当時は交通機関もあまり発達してゐなかったし、自家用車のあるおうちは町に1軒しかなかった。それで福井市にある高校に進学できた時は嬉しかった。学校まで 12 km ほどしか離れてなかったが、当時の僕の感覚では随分遠い町であった。毎日バスで通ふことがとても新鮮だった。学校はその辺りでは進学校であった。本当は僕の中学校の成績では進学が難しかったのだが、背伸びして入った学校であった。古文の補習であったか、水島先生といふ先生が授業に来られたことがある。「君たちは試験勉強ばかりしてゐるが、世の中にはもっと大事なことがあるのだ。うちの学校から有名大学へ進学したものもたくさんゐるが、うちの卒業生たちは大学へ行っても講義に出てこないばかりか悪いことばかりすると大学から苦情が来るほどだ。」と言はれた。それまで僕は単純に、「勉強ができる人は人間的にも偉い人」といふ方程式を描いてゐたので、憧れて入学した学校でそんな話を聞いた時は衝撃であった。また、町であるおばさんと話をする機会があった時に、「商業高校を出た人はそれなりに算盤もできる、工業高校を出た人はそれなりに手に実務ができる力を持ってゐる。けど、あんたら普通科の生徒たちは算盤もできへんし、頭が良いばっかりで、ちっとも役に立たんのよ」と言はれたこともあった。自分も気をつけねばなるまい、と思ったのはその頃のことである。現代といふ時代を見ると、新聞にはスキャンダル記事が溢れてゐる。もしかすると、スキャンダルの当人は若い時から秀才で通ったエリートかもしれない。人はなんのために勉強をするのだらうと、改めて思ってしまふ。

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近くの小学校に隣接するグランドの夜景。煌々と灯りがついて、子供がスケートをする日もある。