あふり運転の判決は懲役18年

2018-12-14 (金)(平成 30 年戊戌)<旧暦 11 月 8 日>(赤口 庚辰 八白土星) Sten Sixten 第50週 第 25510 日

 

東名高速道路のパーキングエリアで駐車の仕方が悪いことを注意された男が、キレて、注意した自動車を追ひかけてあふり、高速道路上で停止させたところにトラックが突っ込んで運転してゐた夫婦が犠牲になった。この事故の裁判のニュースを見たが、多くの人たちは判決についてどんな印象を受けたであらうか。懲役18年の罪が確定したとしても、「知らない人が非常識なことをするのを見ても注意したり関はったりしない方が良い」と思ふ人は多いと思ふ。でも一方で、誰かは注意しなければいけないのではないかと言ふ気もする。そもそも人様に何かを注意するのは難しいものだ。「あたしに悪いところがあったら言ってね」といふ言葉を真に受けて、本当に言ってやると怒り出す女は多いものだ。人は基本的に他の人から注意されたくない生き物なのだ。誰かに何かを注意したい時は、まづ相手に最大限の敬意を払ふ心の用意をした上で、声をかけなければならない。この敬意が伝はるかどうかが、最大のポイントとなる。この頃、すぐにカッとなる人が多い様に思ふ。本来、人間の怒りのエネルギーにはすごいものがある。徳川家康は「怒りは敵と思へ」と言ったが、憤りはそれをバネにしてうまく利用すればプラスに作用することもある。若い人がいっときの心の迷ひから引き起こした事件に 18 年を牢獄につなぐのは刑が重過ぎるのではないかと思ふ。無論、本人の反省の度合ひにもよるが、罪が重かった分だけ、更生した時、社会にプラスに還元するエネルギーは大きいものを秘めてゐるのではないかとも思ふのだ。

 

f:id:sveski:20181215055806j:plain

ある方のお誕生日にお花を届けに行ったら、上がれと言はれてケーキをご馳走になった。