もう一度妻になれたら

日 旧暦 9月2日 仏滅 丁巳 四緑木星 Ludvig Love Den helige Mikaels dag Islamskt nyår V39 24697 日目

まだ時差が取れないのか、深夜に眠りから醒めかけて「今は何時だろう?」 枕元のラジオが小さくなってゐる。それとなく耳をすませば中井貴一宮本信子が、「火宅の人」を演じてゐるではないか。スーッと目が覚めた。僕はあまり本を読まない人間だが、檀一雄のあの本だけは、男としての自分を己に問ふ時に、繰り返し鋭く迫る物語である。自分では何もできないくせに、男として共感を誘はれてならない本である。檀一雄が愛人との暮らしを綴ってこの世を去ったのは1976年。その17回忌も過ぎた頃に、沢木耕太郎はひょっこり未亡人のもとに現れてインタビューし、後に作品として「壇」を発表した。さらにそれを元に「ふたりものがたり」として、合津直枝により演出・脚本された。その舞台の録音が放送されたのだった。体験があり、小説があり、インタビューがあり、ノンフィクションがあり、脚本があり、舞台がありと、たくさんの人々を介して色々な表現の形に変換されることを繰り返しながら、その最終的な形となった「ふたりものがたり」は、元の壇の体験をよりリアルに、両面から光を当てて再現してゐるのではないかと思はれた。時を経たことで洗練される部分もあったかしれない。男と女の、永遠に交はることのない視点のすれ違ひ。そこに漂ふ緊張感。そこには当事者同士でさへ、当初は意識されることのなかった愛のかたちが、時を超えて浮かび上がる様に思はれた。