一本の鉛筆

月 旧暦 4 月 28 日 先勝 甲戌 八白土星 入梅 Bertil Berthold V24 25324 日目

文房具にも消費期限があるのかもしれない。ボールペンは何年か経つとインクが出なくなることもありさうな気がする。しかし、鉛筆はいつまでも使へるのではないか。机の引き出しには古い鉛筆がたくさん眠ってゐる。まだ仕事をしてゐた頃に東京へ出張して、その日の打ち合わせに筆記具を持ってなかったことに気づいた僕は慌ててコンビニで3本セットの鉛筆を買った。その時に何故ボールペンでもシャーペンでもなく、鉛筆を選んだのか、その理由を今でははっきり覚えてゐない。3本セットの鉛筆が一番安かったからかもしれない。急いで買ふボールペンは後で気に入らないこともあるかしれないリスクを避けて、無難な鉛筆を選んだのかもしれない。ともかくその時に買った鉛筆もまた、今なほ引き出しに眠ってゐる。これらのたくさんの鉛筆を僕は一体いつ使ふつもりだらうか。何かメモを書く時は新参のボールペンが使はれて、古株の鉛筆はいつも無視されてゐる。なんだかそれが哀れに思はれて、この頃は僕はなるべく鉛筆を使ふ様にしてゐる。なるべく新しい筆記具を買はずに、古い鉛筆を1本づつ使っていく。鉛筆はナイフで削るとほのかな木の香りがする。古い鉛筆を無駄なく1本づつ使って使ひ切ること、それもまた身の回りの整理作業の一環である。