僕の断捨離

水 旧暦 3月14日 仏滅 壬申 三碧木星 穀雨 Amalia Amelie V16 24532 日目

朝起きた時にはまだ気温が低かったからストーブに火をつけた。ストーブのありがたいところは上にやかんを乗せておけば知らぬ間にお湯が沸いてくれることである。お湯の使ひ道がない時には、この湯の冷めぬうちに布巾を熱湯消毒させてみようかといふ気も起きたりする。チュンチュンと湯の沸く音だけが聞こえる静かな時間はなかなか良いもので、現代的なセントラルヒーティングのお部屋には無い味はひではなかろうか。気がつくと灯油が空になったので火を消して給油したが、その頃にはもう日も昇って暖かくなったから、更に火をつけることもなかった。こんな天気の良い日にはやることがたくさんあって忙しい。忙しいと感じられるのは健康であるからだ。ありがたいと思ふ。2階の押入れの中身を全部出してその辺に広げて風を通し、天井、壁、床を簡単に拭いて、その戸も夕方まではづしっ放しにする。押入れにせよ、抽出しにせよ、カバンにせよ、時々中身を全部出してみることは、「僕はどこに何を持ってゐるのだろう」を点検できて良い。現代は断捨離といふ言葉もよく耳にするが、僕は思ひ切ってモノを捨てられない性格である。「要らないものを捨てよ」と命ずる前に、何が要るもので何が要らないものであるかを知らねばならない。それでモノの一つ一つに向かって「君は何故そこに居るのかね?」と問ひかけてみる。すると、「もっと私を活用してくれませんか」と返事が返って来る様である。それだけの対話をして、夕方にはまた元の位置に戻してやるのである。捨てることならいつでもできるのに人は何故捨て急ぐのだろう?大事なことは「どこに何がある」といふ地図を頭の中に描いておくことではないか。忘れかけたその地図をリフレッシュするために時々僕は押入れを空にしてみる。天気の良い日の大事な作業である。無駄な時間ではあるまい。